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白骨の章

2014.05.14

 それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものはこの世の始中終、幻の如くなる一期なり。 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。 一生過ぎ易し。 今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。 我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、元の雫・末の露よりも繁しといえり。 されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。 既に無常の風来りぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六観眷属集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。 さしてもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。 あわれというも中々おろかなり。 されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、往生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。 今日は浄土真宗蓮如上人が撰述した「白骨の章」を書きました。 訳は明日・・・。