今朝メールを見ると、九州大牟田の大谷るみ子から網走ブロックがお願いしていた講演会に来てくれるとの返事があった。 お伺いを出してからしばらく返事か来なかったので心配していたが、これで安心したと同時に講演準備に取り掛からなくては成らないので忙しくなります。 大谷るみ子さんてどんな人かと言うと「NHKのプロフェッショナル」に出て『介護はファンタジー』と言う事で取り上げられた方です。 確かに介護は想像力が必要だと思います。 認知症になった人達がどの様な思いでいるかを考え実行していかなければならないのですから。 その様なことを実践している方ですが、この度は「認知症高齢者の方が行方不明」に成った時にどの様にして発見するかと言う事と、その組織つくりについて講演していただく予定です。 これから詳細をつめていきますがぜひ多くの人に聞いていただきたいと思っています。 大谷さんからのメールが届いたのは昨夜の11:30頃で私はすっかりよだれを垂れて夢の中でした。 お恥ずかしい限りです。
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任侠ヘルパー
第一話が見られず第二話からテレビを見た。 草彅つよし演じるやくざが介護の世界で手柄を立てて出世していく?と言うようなドラマですが。 けっして笑い事ではない場面が出てくる。 今回は自社製の「紙おむつ」をお年寄につけさせ、仕事の能率と経営効率をあげると言う話であったが、このような話はドラマだけの話ではなく身近にもある話しのようです。 「紙おむつ」だけの話をするとよそでは夜勤帯に人手が少ない事で、ロングの紙おむつを付け朝までそのままにしておく事があるようです。 なぜかと言うと夜ぐっすり寝ている時におむつ交換で起すのは悪いと考えているかだそうで意見は分かれますが、私の所ではなるべく豆に交換していますが考えると頻繁に「紙おむつ」を交換すると家族の負担も大きくなり経済的に大変かなとも考えます。 私なら朝まで「紙おむつ」を付けぱっなしにしては欲しくないです。 皆さんはどうでしょう。
とりあえずこのドラマから目が放せなく成りました。 次回はどの様な問題が起こるのか・・・。
三面記事
昨日夏山登山で痛ましい事故が起こりました。 私はそばが好きで新得町に行きます。 新得に行く途中にトモラウシ登山入り口の看板があり、今回の現場だと思うと気が重くなります。 今年も5月に新得町、6月にはお隣の糠平に行きました。 日頃静かな新得町も大騒動でしょう。 新緑が生い茂った山々を写真に収めていると登山してみたい気になります。 しかし自然は私達に合わせてくれることはなく、むしろ私達が試される場所だと私は思います。
油断大敵、備えよ常にと考えると、今回の事故は介護の現場でも同じことが言えると思います。 高齢者の体調はいつ急変するか分かりません。 その時冷静な判断を下し、次の一手をいかに早く打つかと言う事が、高齢者の安全安心な生活を守ることになると考えるからです。 この事故は次回の全体会議でも取り上げ皆で検討したいと思っています。
若年性認知症
最近調査によれば65歳以下若年性の認知症者の数が全国に3万8700人と推計されたと記事がありました。 有病率は30歳から34までが10万人あたり5.9人に対し60歳から64歳までは189.3人と高齢になるほど有病率は高くなります。 また発症年齢は平均51.3±9.8歳と推定され、働き盛りに発症し人口10万人に対し女性36.7人、男性57.8人と男性に多く見られます。 若年性認知症はその症状の原因が脳の病気だと分からずに本人、家族周囲の人も苦労する事が多いと言われています。 最近入所した方もそのケースに当てはまります、男性・78歳早い時期にその症状・サインが出ていたのですが見落としていたのです。 また神経内科にも通院していたのですが正確な診断が下せなかった様で、脳神経外科で脳の断面写真を見ると明らかにアルツハイマー後期で家族は悔しがっていました。
認知症に対する理解も進み、認知症サポーターも100万人を超えたとの報告もありますが、近頃少し変かなーと思ったら迷わず病院へ行く事です。 ちなみに私も52.29歳若年性認知症の世界に足を踏み入れつつあります。
親鸞と道元
先日常呂町の常楽寺で、宗教学者の山折哲夫氏を招いて『親鸞と道元』と言う事で講演会がありました。 会費無料と言う事で私も聞きに行きました。 話は同時代に生きた『親鸞と道元』の違いなど興味深い話でした。 「早熟天才肌の道元」と「忍耐強く苦労人の親鸞」、また「海を渡り悟りを得た道元」、「国内で教えを広めた親鸞」二人とも最後には歌の世界に入っていき、七五調で教えを説いたという話はなるほどと思えました。 一番興味を引いたのが人は死ぬと「善人も悪人も皆仏」になると言うところで、ではオーム真理教の「朝原何がし」も仏になるのかと言う事でした。 皆さんはどう思います。 なんと仏になるのだそうです。 ただし条件が2つあるそうです。 1つは懺悔し悔い改める事、2つは仏に帰依し修行をすることだそうです。 納得できますか・・・? 質疑応答で中年のご婦人が孫達に仏の教えを広めたいとの話しがあり、それを受けて今の坊主さんは葬式坊主と観光客で飯を食う観光坊主の二種類がいて、説法を広める事をしないと言い、確かにと皆笑いながらうなずきました。 私も首を立てに振りました。
緩和ケア
緩和ケア最近良く聞く言葉です。 進行ガン患者さんにとってもっとも辛いのは、ガンの進行に伴う「痛み」や「だるさ」だと言う事です。 グループホーム協議会の中でも「タクティール」と言う事で研修会を行っており実績が上がっていますが、まだこれからです。 昨年私のグループホームでも末期の肝臓ガンでターミナルケアを行った時に、背中の痛みを訴えられその時うる覚えのタクティールを行ってみました。 背中を両手でしばらく擦っていると、穏やかな表情になった事がありました。 死を迎えるとと言う事は「人生最後の大仕事」だと作家の坂上冬子さんも著書に表しています。 私も進行ガンで助からないと医者に言われたら、延命治療はせずに「緩和ケア」を受けやりたい事をやり、食べたいものを食べて思い残すことなくお別れしようと思っています。
ただこれを行うには、患者と医者・患者と家族・家族と医者その3つの信頼関係が成り立たなければ出来ない事だと思っています。 悟りを説くお坊さんでもなかなか「大往生」出来ないのが現実だそうです。
脳死は人の死?
臓器移植法が採決され、脳死は人の死となりその人からの臓器提供によって幼児にも移植が可能に成りました。 私は臓器移植カードをずいぶん前から所持していて、私が死んだら使えるところは何でも使ってもらいたいと考えていいます。 移植によって幸せに成れる人や家族がいるなら大変結構な事だとも考えています。 私が死んでも私の一部が健康で生きて続けるのなら、私の家族は悲しまないでほしいと思っています。 とは言うものの、医者に脳死と宣告されても体も温かく、ひげも伸び寝ているようにしか見えない私を『死体』として家族皆が受け入れる事が出来るのかが大きな問題です。 また私の子供が交通事故にでも会い『脳死』と宣告され、臓器を必要としている子供たちがいると言われたら、私は決断できるか自信はありません。 本当に難しい問題だと思います。 一度家族でその様な話をしておくことも必要でしょう。 一つ言っておかなければならないのは、健康診断で私の肝臓は「フォアグラ」状態に成りつつありどうも使うには不適格だと言う事です。
神田日勝
神田日勝ってご存知でしょうか? 農民画家とか言われていますが、東京生まれで戦時疎開で十勝の鹿追に移住し、開拓営農のかたわら油彩を制作し、32歳のこれからと言う時に風邪をこじらせこの世を去りました。 日勝の絵画の前に立つとそのリアリティーに思わず鳥肌が立ちます。 逃げられない現実と希望・喜びと言うものがベニヤ板に描かれています。 なんといっても一番は絶筆となった『馬』の絵です。 馬の後ろ足と背景を残したままですが、その迫力は言葉では言い表わすことが出来ません。 農耕馬で痩せていて何の魅力もありませんが、絵の前に立つと優しい馬の目が「お前何しに来た」と語りかけてくる様でした。 その日館内には私一人でしたのでイスに腰掛け絵を眺めていると、その馬と本当に会話が出来る様な気がしました。 不思議な体験でした。 時間を作り、もう一度観に行こうと思っています。 ぜひ一度観賞してみてはいかがでしょうか。 お薦めですヨ。
ADHDつづき
昨日に引き続き「ADHD」の話です。 おさらい「ADHD」とは児童の発達障害の中の一つだということです。 ではその様な子供はどんな行動をとるかと言うと、「落ち着きがない」・「衝動性が強い」・「注意や集中する事が困難」私も子供の頃先生に「落ち着きがない」と通知箋に書かれたものでした。 05年に発達障がい者支援法が施行され、支援と言う名の下にそういう子供を差別・分別する様になって来ています。 確かに授業中突然大声をあげて教室を出て行ったり、先生の指示を聞かなかったりするとは問題ですが、本人はしたくても出来ないのがこの障がいの特徴です。 ですから親は他の父兄から、家での「しつけ」が出来ていないと非難され孤立してしまいます。 私達はその子の特性を知り、理解し受け入れる事が必要です。 私は障がいがある事は「その子の個性」だと思っています。 アメリカでは「ADHD」と聞くと「将来は起業家か政治家」と言われるほど多才な人が多いと言う事です。 ちなみに「エジソン・アイシュタイン・JFケネディ」も「ADHD」の傾向があったされています。
ADHD・・・?
皆さんは「ADHD」と言う言葉をご存知でしょうか。 新しい健康食品の名前や認知症のBPSDの一種ではありません。 答えは『注意欠陥・多動性障害』最近の子供達に見られる発達障がいの一つです。 今日この話を何故するかと言うと、小学校の学級崩壊原因の一つと考えられている事と、青少年の凶悪犯罪があると「ADHD]と言う事とで一括りにされて「悪者扱い」されてしまうからです。 私は美幌町の「保健・医療・福祉ネットワーク」の障がい者福祉の一員として2年ほどこの勉強をしてきました。 今この障がいを持つ子供の数がわが町でも増えており、この障がいがどの様なものか正しく理解されておらず、そうした子供や親達がどのような支援を必要としているかをお話したかったからです。 私自身この話をうまく伝える事ができるか悩んでいますが、頑張ってみます。
続きは明日です。