536万人、日本人のギャンブル依存症の人数です。 こんな事を調べる暇人がいます。 外国に比べると日本人にはギャンブルに関わる環境が整っています。 身近なところのギャンブルと言えば、パチンコでしょう。 人口2万1千人の美幌町にもパチンコ店が4軒もあります。 一時ほどの勢いはありませんが、根強いファンがいるます。 美幌では勝てないと北見に出かける強者もいます。 年中無休で開いているのですから、毎日行けば依存症にもなるでしょう。 ギャンブルと麻薬は似ていると言います。 一度大勝ちした快感は脳に刻み込まれ、病み付きになってしまいます。 近頃は男性よりも女性のギャンブラーが増え、朝から晩までパチンコ店に入りびたりの女性も珍しくありません。 いま、日本にはカジノ構想があり、北海道も誘致に手を挙げていますが、私は賛成しません。 家庭崩壊のもとです。 もう一つ気になる話が、アルコール依存症です。 男性は100万人を超え109万人、女性が8万人から14万人、ちょっとヤバイ数字です。 私は予備軍で、まだカウントされていませんから・・・。
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そのうちに
相田みつおの詩に、「そのうちに」と言う詩があります。
そのうちお金がたまったら、そのうち家でも建てたら、そのうち子供からてがはなれたら、そのうち時間のゆとりができたら、そのうち・・・そのうち・・・そのうち・・・と、できない理由をくりかえしているうちに、結局は何もやらなかった 空しい人生の幕がおりて、頭の上に淋しい墓標が立つ そのうち そのうち 日が暮れる いま来たこの道帰れない 人間の心には、うわべの心と願いの心の二つがあるんだそうです。 うわべの心とは、一度きりの人生楽しんだらいい、苦しまず損せず楽しく生きようというものです。
願いの心とは、一生に一度くらい霊場にお参りしたいと言う心ですが、それにはお金がかかり、石段を登れば体が苦しくなります。
その願いの心は思うだけで、すぐに消えてしまうと言うのです。それを、相田みつおの、そのうちにの詩が言い表して言うと言うのです。 平成27年は高野山開創1200年記念大法会になります。 チャンス到来かそれとも、お寺のコマーシャルに引っかかったか?
皆さん、「そのうちに」と言う言葉上手く使ってはいませんか。
良寛禅師
良寛禅師は江戸後期の曹洞宗の僧侶で、歌人・漢詩人・書家としても後世にいろんなものを残しています。 新潟の庄屋の家の長男に生まれ、庄屋見習いをしていた18歳の時に出家し、34歳で諸国修行に行き、宗派を問わず仏教を広めた人です。 彼は生涯寺を構えず、妻子を持たず、物質欲も持たない清貧な人でした。 子供好きで、子供の純真な心こそが真の仏の心と解釈し、朝から晩まで子供と手毬をついたり、かくれんぼをして遊んでいたと言います。
前置きが長くなりました。 その良寛禅師が良からぬものと思ったのが、次の事柄です。 1・言葉多き、2・差し出口、3・人の言葉を笑う、4・物知り顔の話、5・返すと言って返さない、6・人に別れて後、その事を他人に語る、7・俺がこうしたと言う、8・あくびと共に念仏をする、私にとって、普段の行動そのものです。 実に頭や耳や心が痛く、嫌な汗が出て来ます。 大人になり、世渡りをしているうちに、こんな人間に成ってしまいました。 お盆に限らずお寺に行くと、毎度自分の不徳を仏様に指摘されます。
後半戦
お盆も終わり、今年の後半戦が始まりです。 12月までのホームの行事や私のスケジュールもほぼ決まりました。 後は後半戦を乗り切るための、職員不足をどう解消するかが、頭の痛い問題です。 2ケ月ほど求人募集をしましたが、反応はゼロです。 介護の仕事には、3Kのイメージが付いてしまいました。 キツイ・汚い・最後のKは危険ではなく「給料が安い」です。 介護現場から別の介護現場に行くのはまだしも、介護にまるっきり関わらない人数は増えています。 介護と言う仕事に魅力がないという事かと考えましたが、そうでもない様です。 人材不足は介護業界だけの話ではありませんが、こと介護職員の待遇改善においては、お国はなかなか本腰を入れて、問題解決に取り組む姿勢が見えません。 推定800万人の認知症の方々を、いったい誰がお世話するのでしょうか? 外国人労働者?それも有りでしょう。 ただ日本語も十分理解できない彼らに、日本の国家資格を日本語で受験させるのは酷です。 これだけ悩んでも3㎏太った体重が減りません。 正にストレス太り、生命の危機を感じます。
7イレブン・ローソン
7イレブンとローソン、石を投げるとどちらかに当たると言われるくらいメジャーなコンビニです。 どの店もロゴと店構えはまるで同じ、目立ち過ぎて間違えようもありません。 ところが、神戸北野には景観に配慮した、オシャレな7イレブンとローソンが存在します。 普通に歩いていると見逃してしまいそうになります。 7イレブンとローソンの気配を極力消しているのです。 店の中はそう変わっては居ませんが、狭い土地を有効に活用していて、7イレブンは二階建てになっており、店で買ったものをその場で食べるれるイートインスペースもありました。 たぶん景観条例でもひかれているのでしょう。 この様な配慮は必要だと思います。
街並みの綺麗な観光地などは景観にもっと配慮すべきです。 和風の建物の中に、いきなり7イレブンやローソンの看板では台無しです。 日本人の心使い・おもてなしの現れです。 でも、私はマイナーで垢抜けしない、セイコーマートが大好きです。
敗戦記念日
69回目の終戦記念日です。 しかしネット上では終戦ではなく「敗戦記念日」でしょ。 との書き込みが多くあります。 こんな風に書くのは日本人得意の自虐ネタかと思っていたら、そうでは無く日本人以外の書き込みの様な気がしています。 私は終戦でも敗戦でも構いませんが、今日は平和のありがたさと、戦争で犠牲になった方々に感謝の気持ちを持って追悼する日だと思っています。 いま日本は戦争に参加できる国になりつつあります。 同盟国を助けると言う、大義名分が整えば加勢するでしょう。 国際社会の一員として、国際貢献でインフラ整備に参加するのは良いのですが、紛争地域に派遣されるとドンパチを覚悟しなければなりません。 それが原因でテロや戦争に巻き込まれる可能性は大です。
ご先祖様の前で、静かに手を合わせ戦争は絶対しないと誓いましょう。 今年は機会があり、靖国神社に詣でました。 遊就館も拝観し、戦争で亡くなった英霊たちに感謝して手を合わせました。
終戦記念日は8/15日だけにしたいものです。
お盆ウイーク
今年もお盆がやってきました。 NHKはお盆に合わせて「あゆむ」君を死なせてくれ、いつも以上に悲しいお盆にしてくれました。 おまけに葬式シーンまで放送とは・・・心痛む方が大勢いた事でしょう。(ラインで抗議しましょう) ウンチク、お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と言い、インドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で、音写したものです。 その昔、お釈迦様の弟子の目連尊者がある時、亡き母があの世で餓鬼道に落ち、逆さ吊りにされて苦しんでいると知り、お釈迦様に相談したところ、夏の修行の終った、7/15日(旧暦)に僧侶を招き多くの供物を捧げて供養すれば救う事が出来るだろうと言われ、教えに従ったところ、功徳によって母親は極楽往生が遂げられたと言う話から、あの世で苦しむ亡き人を救う法要の日となりました。 って言う事は、私はあの世に行けば間違いなく逆さ吊りにされムチ打たれ辛い目に遭うという事です。 そうと分れば妻や子の供養を当てにせず、生前に功徳をいっぱい積み、極楽浄土に間違いなく行けるチケットを手に入れようと思います。 ダメですか?
冬の気配
今朝の新聞に大きく除雪機の広告が載っていたのが目に留まったのと、昨日ユニクロを覗くとダウンジャケットが大量に並んでいました。 そろそろ冬の準備を考えれという事でしょうか? これに冬タイヤとストーブのコマーシャルが流れてくると、長い冬のカウントダウンです。 短い夏をまだ楽しみたいと思っているのに、ちょっと早すぎではありませんか? 年々冬支度を誘うコマーシャルが流れるのが早い様な気がしてなりません。 日本人の心理を上手くついています。 景色の移ろいで季節の変わり目を感じるのではなく、テレビのコマーシャルでそれを感じるのは、情緒もへったくれもありません。 確かに、8月7日は暦の上で、立秋ですし、春夏秋とくれば残りは冬しかありません。 そんな中、私はバーゲンの半そでシャツを買いました。 いつ着る事になるのでしょう。 今年の内に袖を通せればよいのですが、ひょっとして来年までタンスの肥やしになるのではないかと思い始めました。 次に買うのはヒートテックの「ももひき」になりそうです。
神戸須磨海水浴場
昨日書いたブログが台風のせいか、今朝見るとぶっ飛んでいました。 せっかく書いたのに、トホホ・・・です。 今日の話は神戸の須磨海水浴場の話です。 たまたま研修にいったところが須磨海水浴場で、早朝からジョギングをしたり散歩する人を多く見かけ環境の良い所です。 問題はそこへ海水浴に集まる若者たちのマナーです。 水着姿のままで街中を歩いたり、店の中を砂だらけにして迷惑していると言うのです。 海の家は見かけましたが、更衣室は無かった様に思えます。 須磨海浜駅から海水浴場まで徒歩で15分位で、住宅街を通り抜けて行きますが、そこを水着姿で歩くと言うのは確かにいかがなものです。 若者は、肌を露出する事に抵抗が無くなっています。 特に若い女性など、下着なのか服なのか判断が付かない事があります。 羞恥心などと言う言葉は、もう死語なのでしょうか? 同じ話はホテルで朝食の時、浴衣にスリッパで現れる人の多い事、ビックリです。 温泉場なら別ですが、都会のホテルでは無しです。 中国人でさえそれはしません。 日本人のモラルはひょっとして、中国人以下かもしれません。
男の修行
苦しいこともあるだろう
云い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹のたつこともあるだろう
泣きたい度もあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが
男の修行である
bay 山本 五十六
60歳に手が届くところに来ていますが、「男の修行」は出来ていません。 昨晩の全体会議で、先月提案した労働条件の見直しについて意見を聞くと思った以上に抵抗に遭いました。 人手不足を補うために提案し、給料も上がり悪い話ではないと思ったのですが、話はまとまりませんでした。 その場の空気も悪くなり、話を取り下げました。 その時、この言葉が浮かんできました。
「男の修行」継続中です。