記事一覧

2010高校野球

2010.08.23

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 夏の甲子園、決勝戦は沖縄・興南と東海大相模との戦いになりました。 私もテレビ観戦していましたが、結果はご存知の通り沖縄・興南が圧勝し、おまけに春夏連覇の偉業を達成しました。 テレビでは沖縄の人々の喜びが、私にも伝わってきました。 駒大苫小牧が夏の甲子園で優勝し、北海道民全てが心から喜んだあの時の興奮と一緒のような気がしましたが、二日たってみると沖縄人の思いは、北海道民のそれとははるかに違う物のでしょう。
 高校野球では沖縄の高校は二度涙を呑んできました。 一つは試合に敗れ涙、もう一つは甲子園の土を船から投棄する時の涙です。
 その悔しさをバネにして勝ち取ったこの優勝は本当に価値のあるものだと誰もが思っています。 高校の先輩の具志堅用高喜んでいました。 「優勝できて本当に良かったサ~」と・・・。   

世界に一つだけの花

2010.08.21

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 ブログ用に花の写真を撮っていると、いつからこんな所に、こんな花が、咲いていたのかと思う事があるのです。 私は、ちょっと前まで、道端の花を気にする余裕も無かったのですが、最近は妙に気に掛かります。 思うに、野に咲く花達は自分で咲く場所を選べず、与えられた条件に文句も言わず、ただ必死に花を咲かそうとしているだけで、それが人の目に留まれば良いのですが、一生日陰で人目に付かない花の方がはるかに多いはずです。 何が言いたいかと言うと、これこそ人間の一生そのものだという事です。 「境遇が悪かったとか、環境が良ければとか、貧しくて勉強が出来なかったとか、社会が悪い、最悪は親のせいだ」などと不平不満を並べ他人のせいにするのは人間だけで、こんな人間はどんなに良い職についても、綺麗な花を咲かせる事は出来ないでしょう。 介護職員こそ、「世界に一つだけの花」の歌の様に、only.oneに成りましょう。

賞味期限

2010.08.20

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 冷蔵庫の食品の話しではありません。 妻が夫を捨てる時期の話でです。 「夫を捨てるなら、定年前のまだ収入があり、元気な時がよいと。定年後夫に頼られてくると、情が移り捨てにくくなる」 なんと言うことでしょう。 こんな統計もあります。 一年間に30万組が離婚し、そのうち40%が定年離婚だそうです。 「長い間内助の功をありがとう、定年旅行にヨーロッパにでも行こう」と航空券を差し出すと、「その前にこれに判を押してくださいと」離婚届を突きつけられたと言う話や、「亭主在宅症候群」と言って、亭主が毎日家にいると、妻はメニエル病(耳鳴り・めまい・難聴・嘔吐)に似た症状を起すそうです。 また、妻は亭主が先に亡くなると、夫婦で暮らしているより、10年から20年長生きするのだそうで、逆に夫は妻に先立たれると、3年から5年であの世に行く言うのです。 何故かこの話に一々頷いてしまいます。 私には心当たりは全く無いのですが、脈拍と血圧が上昇している気がします。
 今後、妻と目を合せて話をすることが出来るでしょうか・・・。  

接遇マナー

2010.08.19

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 ケアマネ勉強会があり、内容が接遇マナーの習得でしたが、その中で、電話の応対と言葉使いのいい加減さに我ながら恥ずかしい思いをしました。 特に相手の顔が見えない電話の対応については日頃から職員に十分気をつけるようにと言ってはいるのですが、いまひとつ納得のいく対応になっていません。 昨日の講義の中でも、「電話は会社の顔」とか「電話中の態度は声に表れる」とか言われると電話恐怖症になります。 また、ちょっとした言葉使いで相手に不快な思いをさせる事例などを聞くと自分にも心当たりがありそうな気がして益々電話で会話することが嫌になります。 特に最近携帯電話が普及した事で、電話のマナーが悪くなっているのは確かです。 質疑の中で役所に電話のかけ方が悪いとクレームを言ってくる人がいると聞くとホームの勉強会で今一度、掛ける側と受け取る側の対応についてチェックが必要と感じました。 

叱りかた

2010.08.18

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 お盆にお寺に行くとコラムの切り取りがありそれをよく持って帰ります。 その中に「叱る時は厳しく叱る」と言うコラムがありました。 読んでいくとこんな文章がありました。 死刑囚の話です。 「子供の頃、よその畑から大根や人参を盗んできて、母親に与えると母親はなんて新しくて美味しそうだろう、お前ははしっこい子だね、と褒めてくれたそうです。 それからと言うもの他人から物を盗るのが面白くなり盗み癖がつき、そのあげく、強盗や殺人の罪を犯すようになった。 なぜあの時、他人様の物を盗ることは恥ずかしい事です、二度とこんな事をするなときつく戒めてくれなかっのか恨みます」と書いてありましたが、ちょっとふざけるなと思える部分もありますが、子供時代の躾けは大切です。 昔は殴ってでも躾けた物ですが、今はそうも行きません。 きちんと躾けても、爺さん・婆さんがつい甘やかしたのでは台無しです。 

Oさん逝く

2010.08.17

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 お盆の14日、長年入居していたOさんが亡くなりました。 享年90歳病院に入院して20日目でした。 先月体調を崩してからはあっと言うまの出来事でした。 私も何度かお見舞いに行きましたが、目にみえて衰えていきました。 Oさんは穏やかな人柄で、何かをたずねると決まってこう言いました。 「私、ボケちゃって何にも分からないのと」と言いながらも自分で出来る事も多く、食材の準備などは良く手伝っていた姿が印象的に残っています。 早くにご主人をなくし、女手一人で4人のお子さんを育て上げ、孫ひ孫に囲まれてまだまだ長生きをしなければならなかったのですが、残念です。 ご家族もOさんの面倒を良く見られ、ホームに頻繁に顔を見に来られたり、行事には必ず参加してくださいました。 Oさんが入院してからの、ご家族の看病する姿には頭が下がりました。 そんな看病の甲斐なく、亡きお父さんに導かれる様にこの世を去りました。 ご冥福を祈ります。  合掌

戦争の台所

2010.08.16

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 北海道新聞のコラムにこんな記事がありました。 戦時中小学校で兵隊さんの防寒用にと生徒一人ひとりに、ウサギが配られその飼育をまかされた事があったようです。 育てているうちに情が移り供出の時には泣く泣く差し出したとか、そのウサギが夕方皮をはがされ肉の塊で帰ってきて、その肉を使いカレーライスを作り、泣きながらおいしいと食べたとの記事を呼んで言葉が出ません。 今の子供達には想像も出来ない事でしょう。 色んな食べ物が有り余り、ホームレスでも糖尿病なる時代が来るとなんてお釈迦様でも分からなかったと思います。 その事を考えると一粒のお米もムダにできません。 確かにホームにいるお年よりは、食べ物について不平を言う人は一人もいません。 ただこれからのお年寄り、戦後の人達はそうは行かないでしょう。 何はともあれ、ホームで飼っているウサギを食べる日が来ない事を信じます。

終戦記念日

2010.08.15

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 当たり前の事ですが、毎年終戦記念日が来ます。 若い頃は8/15日をさほど意味のある日とは考えていませんでした。 お年寄と一緒に生活をして、戦争当時の話を聞くと戦争の悲惨さ、戦争で亡くなった方、残された家族の無念さをしみじみ感じます。 多くの方の犠牲のうえで成り立った平和ですから、大切にしたい物です。  ただ、今の日本人は平和ボケしていて、世界で一番軽薄な国民に世界から見られているのは残念です。 それでもお盆にお墓参りやお寺参りをする人を見かけると、日本人も捨てた物でもないと思う部分もあります。 それと同時に荒れたお墓、灯りの点いていない納骨堂は心が痛みます。 超高齢化の日本、お年寄が生きて行くのは戦争で生き残るより大変な事です。 終戦記念日は色んな意味で悲しい日です。 これからお寺参りに行ってご先祖様に感謝してきます。 

墓参り

2010.08.13

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 な~んかお盆は師走と変わらないぐらい忙しいです。 今日と明日は墓参り、15日はお寺参りおまけに嫁の実家の網走は夏祭り、う~んイライラする。 長男に生まれた宿命か・・・? こんな事を言っていると、バチが当たると言われそうです。 毎年お盆を厳粛に迎えている人が大勢いる中で、不謹慎な発言をしました。
 私は墓参りやお寺参りが面倒だと言っている訳ではないのです。むしろ好きなほうなんです。 色んな家の墓の形や仏壇に上がっているお供え物を見て楽しんでいます。 これがけっこう面白いんです。 その家々で、ご先祖様をどのように供養しているかが見えるんです。 自分が死んだらどんな風に供養して欲しいか今から考えるのも悪くありません。 ただ、子供達がその通りに供養してくれるかが一番の問題で、それを思うと逆に簡単に死んでなるものかと決意するのです。 ほんと、バチ当りです。 

里帰り

2010.08.12

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 昨日は急遽札幌に行き、ブログを休みました。 すんません。
札幌に住む父の姉が、昨年体調を崩しそのことから介護認定を頂、近所のデイサービスに通っているので、父の代わりに様子を見に行ってきたのですが、思いのほか以上に元気になっており安心しました。 要介護1が要支援1になったとかで、2階級の特進です。 更新認定で、聞かれた事や物の名前をスラスラ答えたと言うのです。 実際デイサービスに行き会ってみると、一年前とは見違えるほど元気になっていました。 83歳ですが若く見えました。 いとこ曰く、「うちの母さん100まで生きるんじゃないかと」・・・。 
 確かに、人間は死ぬまで生きると言って置きましたが、ただ伯母も調子は良さそうですが、今日デイで昼食に何を食べたか聞くとなんだったか思い出せないと言う、やっぱりなあ~と変に頷来ましたが、何故聞取り調査のときにお年よりはしゃきっとするのでしょうか、ある種の緊張感が働いてよい結果を出すのでしょう。 介護職員には緊張感は不可欠です。 

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