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石川啄木

2019.04.12

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 母の白内障手術後の検査で釧路に行ってきました。 テレビの健康番組のせいで昨日は、待合室のイスが足らずパイプイスが出されていました。 駐車場の車も動く気配がないので、釧路探訪となりました。 幸い近くに石川啄木が務めた釧路新聞社を移築した小さな記念館があり、時間を潰しました。 そこにある資料を読むと、今でも石川啄木ファンや彼を研究する人が多く訪ねて来る事とに頷きました。 放浪とか流転の詩人とか言われますけど、二十歳そこそこの青年にとっては波乱万丈な人生であった事は間違いありません。 彼は釧路に限らず、函館・小樽と転々と居を替えます。 釧路に来たのは明治41です。 明治の釧路は想像できませんが、写真で見る限り、住みたい気持ちには成りません。 ですから啄木も釧路駅に降り立った気持ちを「さいはての駅に降り立ち雪あかり、さびしき町にあゆみ入りけり」と読んでいます。 その後75日で退職していますが、まあ、二十歳前に結婚し、妻子を岩手に残しているのでなおさらでしょう。 いまなら、美味しい回転すしやファミレスがあり、楽しく暮らせますが、時代が悪すぎました。 釧路には啄木の歌碑があちこちにあります。 探検するのも良しです。