2016.12.12
1941年12月8日午前6時、日米開戦の火ぶたが切られました。 東アジアの国々を欧米列強の植民地から解放すると言う、大東亜共栄圏を大義名分を掲げ行われた、大東亜戦争。 のちには大東亜戦争とは言わず、勝戦国の都合で太平洋戦争、いや第二次世界大戦と呼び方も変えられました。 勝ち目のない戦争をした結果、我が国は多くの人命と領土を失いました。 その傷は、戦後71年経っても癒える事はありません。 未だ、奪われた北方領土はいまだにロシアの手中にあります。 今月15日には、ロシアのプーチン大統領が訪日し日ロの関係改善のための話し合いが行われ、あわよくば2島返還が叶うかとマスコミは煽りますが、そう簡単な話ではない事がだんだん分かってきました。 また、この時期に国後・択捉に地対艦ミサイルが配備された事は日本人、特に道東の市町村にとっては寝耳に水の話で、不快感を増しています。 首脳会談の結果が気になるところですが、戦争をおっぱじめたのは日本です。 鈴木宗男曰く、一滴の血も流さず領土が帰ってくることは、非常に難しい。 日ロ経済協力と言うお金を使った結果によって、領土問題が動き出す様です。 12月15日は領土問題をめぐる、日ロ開戦になりそうです。