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看取り

2016.06.15

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 昨日一人の人生の終わりに立ち会いました。 この方はホームに入居されていたのですが、途中で脳出血で入院されその後療養病院に転院されていました。 直系の親族がおらず、私と義理の弟さんで対応していました。 月曜日に面会に行ったとき、尋常な状態ではなく、昨日胸騒ぎが有り病院に行くと私の呼びかけにも答えず、体は冷たくなっていました。 急いで看護士を呼ぶと、3時までは「生きていた」と言います。 主任看護師の表情は、「あら、ヤダ、死んでる」言葉には出ませんでしたがこんな感じです。 機会を取り付け心電図を見ても波形は出ません。 医師から経緯を聞き死亡宣告を受けましたが、何ともです。 覚悟は出来ていたので、次の段取りに進んだのですが、運悪く町内の葬儀場には5つも葬儀が入っており、北見で行う事になりました。 運が悪とは言いませんが、この方の波乱万丈な人生を象徴しています。 思うのですが、故人の人となりを披露できる場面も無く、静かに消えて行く人がこれからどんどん増えるでしょう。 故人に対する尊厳・畏敬の念は薄れ、機械的に「始末」そんな風潮が広がっている様に思えます。 火葬にも立ち会い、長い闘病お疲れ様と言います。